2010年1月26日
チリにおける太平洋戦争と民主化の進展
ボリビアによる、アントファガスタのチリ硝石企業への課税をきっかけに、1879年4月5日、チリはペルー・ボリビア両国に宣戦布
告し、 太平洋戦争が勃発した。イギリスの支援を受けたチリはこの戦争に完全勝利し、1884年の講和条約によりボリビアからはア
ントファガスタを中心とするリトラル県を、ペルーからはタラパカ、アタカマを獲得した。しかし、この戦争以降両国との関係は
悪化し、その影響は現在まで続いている。また、この戦争の最中の1882年に南部のマプーチェ人が最後の大規模な組織的反乱を起
こすが、この反乱が鎮圧されると以後マプーチェ人は国民国家としてのチリ社会の底辺層に組み込まれていく。以降南部にはドイ
ツをはじめとするヨーロッパから移民が入植した。
戦争後、1886年に大統領に就任したホセ・マヌエル・バルマセーダは、ペルー・ボリビアから獲得した鉱山資源を背景にイギリス
の経済支配からの脱却を目指して国民主義政策と富国強兵政策を行うが、専制的大統領統治に対する議会や海軍の反乱による1891
年のチリ内戦にて議会軍に敗れて失脚し、自殺した。以降チリでは議会主導の政治が確立され、「強い議会、弱い大統領」の時代
が1920年代まで続くことになるが、反面ポルターレス体制の用意した大統領の独裁的リーダーシップの欠如により政治の不安定化
を招くことにもなった。
人民戦線と人民連合
1938年の選挙によりアレサンドリは敗れ、人民戦線からペドロ・アギーレが大統領に就任した。1939年に生産振興公社が設立され
たが、1941年にアギーレは辞任した。
1946年に急進党からガブリエル・ゴンサレス・ビデラ政権が成立すると、アメリカ合衆国の圧力の下にソ連との断交が行われ、チ
リ共産党が連立から離脱すると、人民戦線は終焉した。1948年に「民主主義防衛法」が成立すると、以降1958年まで共産党は非合
法化された。
1952年にポプリスモ政策を掲げた第二次イバーニェス政権が成立すると、選挙法の改正などにより秘密選挙が保障されるようにな
り、1958年には「民主主義防衛法」も廃止された。1958年にアルトゥーロ・アレサンドリの息子、ホルヘ・アレサンドリが大統領
に就任したが、アレサンドリはブルジョワ層に傾いた政策を採り、「進歩のための同盟」の要請により行われた農地改革も殆ど実
効性の無いものに止まった。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
チリにおける太平洋戦争と民主化の進展について調べてみました。
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